主人公として生きるということ
みんな自分の人生の主人公!自分らしく生きよう!
昨今の流行歌にもCMのコピーにも、そんなメッセージが溢れているし、コーチングに傾倒する人の多くがこう言う。素晴らしい言葉だとは思うのに、なんでずっと心の深くに拒否反応があるのか。今日のお客さんとの会での話でその違和感の正体が見えた気がした。
若い頃(例えば20代半ばくらいまで)は自分が世界の中心で主人公として生きていた。
その後(主に30代)、社会の中で自分が世界の中心ではないことを感じていく。自分が主人公ではない、何者でもない、だから何者か、すなわちオンリーワンにならなければ自分という存在がなくなってしまうのではないか、そんな気持ちが強くなる。実際この世代の転職理由にとても多い。
そしてその次(40歳前後)に、世界の中心ではないし、そんな中心なんてそもそもない、あっても特別なオンリーワンなんかではない、それでも主人公として存在する、主人公としてしか存在し得ないことに気づく。自分らしさというものも、ただ存在する自分そのものでしかない。それで、どうするんだっけ?って考え始める。
もちろん人による年齢差は多分にあるわけだし、若くても部分的に歳をとった人の感性を持つこともある。
だけれど、冒頭のメッセージの多くが、この年齢のプロセスを無視しているのだ。
ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン。この言葉に勇気づけられる人を否定するつもりもない。でも、誰一人特別でもなんでもないオンリーワンだと思えるほうがずっといい。
それは多少のせつなさはあれど、寂しいものでも悲しいものでもない。
もちろん一生世界の中心で主人公として自分らしく生きられる人はそうしてほしいし、そんな人だからこそ作り上げていける未来がある。実際自分はそんな人にリードされてこそ生きられることを実感している。
でも、世界の中心で生きることが、すなわち自分の人生の主人公になることでも、自分らしさでもない。人はほっといたって自分。らしさも何も、自分でしかない。
そう思えて初めて、じゃあどうしようかと前を向いて考えられるときがやってくると思うし、そう思えるまでの悩みや葛藤こそが、しっかりその人の道を作るんだということを寄り添い伝えていきたい。そしてその上でのこれからを一緒に考えあいたい。
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