抽象度を上げる勇気
「構造化」することでほぐれていく悩みや迷いはあると思います。
「構造化」なんて言葉では、頭でっかちな香りとコンサルみたいな頭良さそうな感じと、堅いカクカク感があってとっつきにくくて敬遠されそうですよね。(コンサルの人に悪意はありません。みんな大好きです。愛してます。すいません。)
パパパっとロジックツリーを描いたり、図示できたりする人を見ると、「すげぇなぁ。頭いいなぁ」と打ちのめされたりして。でも「俺には無理だ」となって敬遠するという。
でも、言い換えれば、構造化は「あぁ!そういうことか!」を生み出すことだと考えています。それであれば、おそらく悩まれる方の誰しもが求めるものなのではないでしょうか。
絡まった糸やらイヤホンのコードやらをほどいていく。一本のピンとした糸やコードになったときの感覚を、この悩みにおいても持てたら。
キャリアについて、ときにそれ以外のことでも、悩んでいるときに、とても大切なことだと思っています。
構造化スキルを語る、のはもっと得意な方がおられますし、きっとネットを検索すればたくさんの記事が出てくるものと思います。
ちなみに、打ち明けますと、私はロジックよりも、絵や空間で捉える傾向が強い人みたいで、それもあるのかないのか、構造化が得意(速い)なわけではないんです。
そんな私ですが、ほぼ毎日人とお会いしてキャリアを中心とした様々なお悩みや迷い、お考えをお聞きして思うことがあります。
「抽象度を上げて考えることの大切さ」
キャリアについて悩まれる方の多くが、具体性を追い求めて粒度の小さなものの中で捕らわれ動けなくなってしまっているのです。
普段「そもそも」「なんで」「本質的には」と言った言葉を仕事などで使うことの多い方でも、そうなられていることがとても多いのです。
例えばその状態で考え生み出される言葉を並べてマトリクスを作ったり、プロコンを書いてみたりして、それでも何も見えてこない。見えたものにしっくりこないということになってしまう。
頭と心が分離しているから、多くの仕事とは違い、頭でわかっているのにエネルギーが生まれない。
だからこそ、本当に大きな粒度の、大切なものを見つめなおして再構築していくことが必要で、そのうえで一度机から片付けた小さな粒度のことを並べ直していくとスッと繋がり出すのです。
でも、それはなんで難しいんだろうと考えてみます。
特に仕事において、更に歳を重ねると、抽象度の高い話が喜ばれる機会は激減します。とにかく具体的な話をしなければならない。
「夢絵空事はわかったけど、ビジョナリーなのは素晴らしいけど、で、どうすんだよ!?」と問われる日々。
家庭でも「おまえを幸せにするよ!」と言っても「ありがとう。嬉しい。で、今日はどっちが皿洗うの?」となる(うちはならないけど)。
上司や顧客に対して、「端的に、簡潔に、結論から話し、そこに至るプロセスを論理的に話せ!」と言われ続けたり、自分に言い聞かせたりする日々。
目標達成、受注、売上や利益やCVRのアップという目指すべきもののために、その抽象度のところから具体化してPDCAを回す日々。
抽象的→具体的
の流れで頭を使うことに慣れてはきても、
具体的→抽象的
の流れで頭を使うことには慣れてはいない方が多いのだと思います。
なので、ご相談をお受けして、抽象度の高いものに立ち戻るプロセスで長くゆっくりお時間をご一緒させていただくことが多いのです。
抽象度の高いこと、
それは例えば、
「どうありたいのか」
「どう生きたいのか」
「何が大切なのか」
「悔いの残らない人生とはどんなものか」
「何にグッとくるのか」
「これは任せろと思うことは何か」
といった感じのことですが、
抽象度の高いものほど、頭だけでわからず見えず靄がかかっていく。心や感情が非常に重要になる。その方の中にだけしかない、誰にも寄りかかれない自分自身の人生を自分で考えなければならない、そんなものでもあり、つらいときはあります。
これを一人きりで考えることはなかなか苦しいことです。だからこそ、そのプロセスにそばにいる人がいると、つむいだ言葉をぶつけて返してくれる相手がいると、前に進めると確信しているのです。
最後に決めて前に進むのも自分自身。孤独にしか決められないことも、そばにいることしかできなくても、そこにいさせていただきたいと思うのです。
そしてその先で、
「何かあったらいつでもあそこがある」
と安心して前に進んでいただけたら。
そんな思い徒然まとまりなく。失礼しました。
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