承認欲求の力と危うさ
キャリアカウンセリングや採用面接のときに、モチベーションの源泉についてのお話になることがあります。
そのときにそれは「承認欲求」であるとお話いただくことが多くあるのです。
人から認められたい気持ちは多かれ少なかれきっと誰しもにあって、それはけして間違ってはいないし、かく言う自分もそうなんだと思います。誰かに認められて、ここにいていいんだと安心できる居場所があって、はじめて人は生きていけるものだと思いますし、それが力になってこそ、人は大変な困難を超えられるのだとも思わされます。
私自身独立はしましたが、それでも一人きりで生きているわけではなく、むしろ、たくさんの人々に生かされていることに疑いはありません。誰かに承認されなければ人は生きていけないのだろうと思います。
ですが、人と対峙する仕事を重ねてきて、強く実感していることがあります。
「承認欲求を満たすための仕事は、周囲を、そして他ならぬ自分自身を傷つける」
そしてもう一つあるのは、
「歳を重ねるごとに承認などされなくなる」
ということです。
少し強い言葉ですが、世の中のほとんどの人は、自分自身のことで手いっぱいで、人のことを見ていません。というより、見ることなどできません。見てくれている人がいても、見てほしいようには見てくれません。見ているよという姿勢を示してくれているだけかもしれません。
例えばあなたが他人に求めることを、あなたは他人にしてあげられていますか?できていないことが多いのではないでしょうか。
つまり、承認欲求に基づいて「自分を見てほしい」「認めてほしい」「評価してほしい」「すごいと言われたい」という思いは、誰しもにありながら、相手の承認欲求に自分が応えてあげられていないにもかかわらず、自身は相手に応えてほしいと思うもの。
そして、みんないっぱいいっぱいなのに、その中で見てほしいと言われても物理的に難しい。見られ方、認められ方、褒められ方にまで気を遣えるほど、人は完璧ではないのに、それを求めてしまう。
そして、歳を重ねるごとに、先輩や上司の側になるにつれて、物理的に褒めてくれる先輩や上司の数は減っていきます。そのぶん承認欲求を満たしてくれる人も機会も減っていきます。さらに、上の立場になるほどに、そもそも部下や後輩、社外のお客さんや協業パートナーなどからも、悪気なく気を遣われて、持ち上げられたり、お世辞を言われたりすることは格段に多くなります。あなたがかつて上司や先輩にそうしていたように。
つまり、見ていてくれる人や認められる機会は減り、認めてくれる発言すらも鵜呑みにできないようになる。
しかも、歳を重ねるごとにと書きながら、30歳から35歳くらいまでの間に、その実感は急に、強烈に、やってくるのです。案外、あっという間にやってくるのです。そのときに承認欲求だけが原動力になってしまっていると、とてつもなく苦しくて、孤独で、認めてほしいと周囲にアピールし、認めてくれない人を攻撃してしまうことにも。
キャリアに悩まれる方の多くが、この「承認欲求」のように、他人ありきの自分の中を生きて悩み苦しまれています。承認欲求をなくすことなどできないかもしれません。でも、まず何よりも自分で自分を承認することに、真正面から踏み込んでいただきたいと、そう思います。
私がGCDFのキャリアカウンセリングを学んだクラスでとある先生が伝えてくださった言葉があります。
「相手に自分を信頼してほしいと思っている時点で、あなたは相手を信頼していない。相手があなたを信頼するかは相手の自由であって、あなたがどうしようというものではない。あなたはただ、相手を信頼すればいいのだ。相手があなたを信頼するかではなく、あなたが相手を信頼するかだ。」
キャリアカウンセリングに限らず、この言葉は私が大切にしつづけているものです。相手に承認を求めるのではなく、自分にできることは相手を承認することだけなのだと思います。そして、それができるためには、自分で自分を承認できていることが必要なのだとも強く実感しています。
自分で自分を承認できるコンディションになって初めて、これからやりたいことが見えてくると確信しています。
それを一人ですることが難しいときは、一緒に考えあえたら嬉しいです。
お気軽にお声がけください。
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