平成と私 vol.2

「好きな人と大学で再会できる」

それだけの理由で第一志望の高校を決めました。その高校はエスカレーターで大学まで行ける。好きだった子もその大学の系列の別の高校に行くと先にわかっていたので、それぞれ普通に進めば同じ大学に入るとわかっていました。(なので第二志望も系列の高校)

その子のことは中学二年生の頃好きになって、ずっとその子が他の子を好きであることを知っていて、その他の子の文房具を代わりにもらってあげたりとかしてた期間を経て、ふとしたタイミングで好きなことを伝え、彼女も好きになってくれて、両想いな感じで付き合ってもらえました。が、あまりにウブで勇気も何もない私は、両想いの確認の後、手をつなぐことも二人で遊びに行くこともできず、お付き合いとやらは静かに終わることになるのです。ですが、当時の私は、それはそれは女々しくて(不適切な言葉だとわかりつつ、でもこの言葉が一番合うのです)、引きずって引きずってうじうじめそめそしていました。そう聞くと「大学でまた会える」なんて、なんだか気持ち悪いですよね。今力を尽くさず、先送りして未来に逃避する選択をしていたのです。

よく考えると、そんな「先送り」「未来への逃避」をする性格は、この先10年、15年、何も変わりませんでした。そして、今も弱ってくるとすぐ顔を出してきます。
(書きながら、あぁ、そうだなと気づきました。書くと気づくこと、ありますね)

さておき、前回記載したとおり、少なからず人生で初めて、そして唯一、勉強が好きで楽しくて成績も上がっていた時期、不純な動機(でも純度はとても高い)も相まって絶好調な流れに。結果8つくらい高校を受けて、一つも落ちずに無事第一志望の高校に入ることが決まります。

母からはその後大学生の頃や社会人になりたての頃、「あなたの人生のピークはあのときだったわね」と言われつづけることになりますが、でも、合格のとき母が本当に喜んでくれたことをずっと覚えていて、それが後々の意思決定にもつながることになろうとは、当時は知る由もありませんでした。

さて、そこから日本に帰国し高校に入学。一学年18クラス(A組〜R組)、全校で2100人程度のマンモスな男子校。黒の学ランに金ボタン。戦前からある石造りの古い重厚な校舎。エアコンなし。

「ウザい」という言葉すら知らなかった私は、日本の高校生の使うたくさんのネガティブな言葉に汚される感じで慣れるのに時間がかかりました。

なんとなく始まった高校生活。ちっちゃな頃から小学四年生くらいまで水泳をやっていたので、なんとなく競泳部に行くも、中学時代遊びでバスケをするだけだった自分、かつ何の根性もない自分はまったくついていけず、言い訳とか嘘とかばっかりついて休み、結局あっという間に退部。

たまたま同じクラスに生徒会に入ってた友達がいて、誘ってもらって、生徒会に。誰でも入れる部活のような生徒会でした。会長と副会長だけは選挙で決まるという。
でも、この生徒会に入っていたことで出会う人々が、自分の人格、性格、価値観、生き方の土台となるのです。

そして、音楽が好きだったので、なんとなくクラシックギターの部活に。その後一年くらいで幽霊部員と化します。
でも、このとき出会った友人は音楽を含め生涯の友と言える存在になります。

この時点ではなんとなく、流されて、みんなについていって暮らす日々。特に何も考えず、努力が必要なことを遠ざけ、できなさそうなら辞めたり、手をつけなかったり。

そんな私なので、生徒会イベントをきっかけに彼女はできたけど、何にもしてあげられず、いてくれることに感謝もせず、とてもひどい別れ方をしたこと、思い出すと謝りたい気持ちで胸が重く痛みます。

そして、このときはWindows95が出たくらい。父が買ってくれたPCに、毎夜毎夜23時から朝4時とかまでかじりつくように向かう日々。チャゲアスファンの集まるBBS(掲示板)でのチャットにのめり込んでいました。

テレホーダイをご存知ない方に説明しますと、インターネットは当時ダイヤルアップ接続で、ネットにつなぐとどんどん電話代が課金されていくシステムでした。それが、テレホーダイを使うと23時から翌朝8時までつなぎ放題になるため、ネット民はこぞって23時に集まりだす時代だったのです。

さっきの彼女がいたのに、その掲示板にいた京都在住の大学四年生の方を、会ったこともないし顔も知らないのに好きになり、結果彼女に別れを告げ、その大学生とも付き合えるわけもなく、一人になるという。

そして、高校二年生のとき、生徒会長に立候補しようとするも、生徒会内投票で惨敗。なんとなくの勢いでは、なんにもならない。自分なんてなんの特徴も強みもない。そのくせ自分のことを見ていてくれないと嫌という、つまらない奴だったと思います。

そのときある仲の悪かった人から言われた言葉は、今もなお思い出します。

「いちいちおまえのことなんて、誰も見てねえよ」

当時はただただ憤慨したこの言葉ですが、今はあまりにしっくりきてよくわかる、前向きな言葉になっています。

私の高校一年、二年は、こんなでした。
今思っても、成長実感なんてなく、授業中に読みまくった漫画(特にカイジとかの福本伸行系)以外、あまり記憶に残ることもなかった時期だったように思います。

なぜあまり記憶に残ることがなかったのか、当時はわからなかったその理由は、今ならわかります。

そこに何の意思も考えもなかった、自分の人生を自分で生きている感覚がまったくと言っていいほどなかったし、その感覚がどういうものかすら想像もできなかったししようともしなかったからです。

初めてそこが変わり始めるのが、高校三年生。今でも最も大切で敬愛する、とある友人との出会いが明確なトリガーでした。

ある日廊下で友人伝手で出会い、一言二言話をしただけで、自分をすべて受け入れてもらえた感覚があったのです。すでに当たり前のように自立して生きている。自身が言葉にしたものを、より深く言葉にして返してくれる。言葉に色も香りも触感も与える力を持っている。

彼との出会いが、言葉をつむぐ人生の始まりでした。言葉の持つ抽象度や繊細さを愛していたはずの自分に気がつき、二年間触れることのなかったその居心地の良さを明確に自覚しました。心に向き合い言葉をつむぐことが自身にとって一番の喜びであり、自我を芽生えさせるプロセスだったのです。そして、それが、今この仕事を選んでいる理由であり、原点でもあるのです。

ここから私はあまりに素晴らしいと友人との出会いを重ねていきます。共通するのは、みんな性格も好みもバラバラなのに、「心に向き合い言葉をつむぐ」ことができ、不器用でも自分を生きている大好きで尊敬できる人たち。自分みたいなちっぽけなやつを、うじうじもじもじしていたやつを、なぜか愛してくれて、翼をつけて空に放ってくれた人たち。

寒い中泊まり込んで多摩川沿いでしし座流星群を見上げた。

みんなで旅行をした京都で美しすぎる庭の景色に涙した。

初めて意思をもって「自分はあなたが好きだ。あなたを幸せにしたい。」と思って告白をしてできた彼女。私の背中を押してくれたのもこのときの仲間たちでした。

言葉一つ一つ、
空も海も山も、風も色も香りも、
喜びも悲しみも寂しさも虚しさも、
愛せるようになった。

自分を、自分だと、自覚するようになった。

人は人との出会いで変わることができる。
人は自分と向き合い自分と出会うことで変わることができる。

私のモノクロだった人生は、こうしてこの高校三年生のときに、色づきはじめたのです。

(つづく)

つむぐ

キャリアカウンセリング、採用支援、エージェント育成支援などを行っています。

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