平成と私 vol.5

「こないだは会えてよかった。心配してくれてありがとう。話を聞いてくれてありがとう。嬉しかった。」そう書き残して、彼は自ら命を絶った。大切な友達だった。

少し時が前後しますが、それでもあえて、このときのことを、はじめに書こうと思います。ものすごく葛藤がありました。でも、ここからは逃げてはならない。だからこそ、一丁目一番地に掲げて言葉にする。そう決心したのです。

私は転職して二社目、とある採用支援の会社で働いていました。前職での恐怖の日々から脱して、優しい人々に囲まれ、落ち着いた毎日を過ごしていました。そして、結婚もしていました。順風満帆とまでは言えず、言葉にはできないほどだらしのない自分がおかみさん(奥さん)にかけた迷惑がありながら、許されながら、それでもどうにかそれなりに生きていた、そんな時期でした。

なぜ彼と連絡を取り合ったのかははっきりとは覚えていません。親同士が繋がっていて、心配していたのを聞いて、連絡を取ってみた。そんなことだった気がします。

彼は当時、結婚もして子どもも一人。

結婚前に会って、そんなに結婚したいわけでもなかったけど、彼女がかなりの力強さで結婚を迫ってくる。子どもがほしいと言ってくる。気がつけば自分は結婚なんて考えてなかったけど、彼女が彼の母親とも仲良くなって、気がついたら結婚式場を探されていた。苦笑しながらも、それでも別に嫌ではないから結婚しようと思うよ、なんて言っていた彼。

就職してすぐに結婚。結婚式の夫婦の笑顔、彼のぎゃはははという笑い声、なんとなくその後も幸せに過ごしているのかな、それくらいの印象で、気にかけずに過ごしていました。

その後子どもも生まれ、たまに会うたびに、可愛くて仕方なく、写真をこれでもかと見せてくれる彼。

でも、数年会わない時期を経て再会した彼に、笑顔はありませんでした。会う前のやりとりから、もう元気がなく、謝ってばかり。会う予定になった日も、彼は予定の時間に現れません。あまりに心配だった自分は何度も電話をかけ、三時間その場で待ち続けました。するとようやくかかってきた電話で、号泣していて、パニックになっていて、こちらが何を言っても、呼吸も苦しそうなほどに「ごめん、ほんとにごめん」を繰り返すだけ。

これはまずい。まずい。まずい。

何時間でも待つから、とにかくそこから出てここに来てほしい。出よう。そう伝え続けました。そして、彼は現れました。

一緒に入ったマクドナルドで、少しずつ彼が話してくれたこと。

彼は、奥さんから、言葉の暴力を受け続け、罵られ、人として否定され続け、行動を監視され、行動の報告を求め、縛られ、優しい彼はただただ自分が悪いと思い込むようになり、自分が我慢すれば、すべてがうまくいくと思って耐え続けてきたのです。そこにもはや夫婦の愛はなく、彼を支えているのは愛する小さな娘さん。彼女のために耐えなければ。

仕事もあまりうまくいかず、転職した先でもハードワークで、ストレスを抱え過ごしてもいました。

そんななかで彼は限界を感じ、離婚を切り出します。

もう耐えられない。つらい。苦しい。

解き放たれたくて、勇気を出して切り出したこの離婚の話が、彼の最後の希望をも失わせることになります。

彼の奥さんは、もう娘と彼を会わせないと言い、脅迫ともいえる離婚条件を突きつけてきます。

その絶望の中にいた彼と、私は会ったのです。

追い詰められ、もう何もかもを失う。彼は力なく、ただ、話してくれました。何時間話したでしょうか。

「苦しさを一人で抱えないでほしい」
「また会おう」
「また話そう」

私はそう伝えて、彼は力なく、でも少しだけ笑って、「ありがとう」と言い、帰っていきました。

それが、彼との最後でした。

その何日後だったでしょうか。
何週間後だったでしょうか。
仕事で忙しくてんやわんやしていたある日、
私の母から電話があり、「○○くん、死んじゃったみたいなの。」と告げられました。

オフィスのビル下の駐車スペースで、頭が真っ白になり、徐々に徐々に大きな津波のように、悲しみと、怒りと、悔しさと、やりきれなさと、あまりに大きな無力感が襲いかかり、寄せては返し、涙が止まりませんでした。

心の整理などつかないうちに、お葬式へ。棺の中の穏やかな彼の顔を見て、それはそれは静かで、優しくて、穏やかで、前に見たあの苦しくてつらくて元気のない彼が、こんなにも穏やかな顔をしている。

「本当に頑張ったね。ほんとにほんとに、つらかったでしょう?もう大丈夫だからね。もう、苦しまなくていいんだからね。アイドルとか、バスケとか、ボーリングとか、もう、最近ずっと触れられなかった好きなもの、思い存分やったらいいんだから。ほんとにほんとに、お疲れ様。」

そんなことを語りかけたと思います。そのときのこと、彼の表情、今でもあまりにはっきりと、思い出せます。

(今、これを書いていて、本当に悲しくて、涙を堪えられません。電車の中なのに、怪しいやつですね。)

お葬式には、奥さんの姿も、娘さんの姿もありませんでした。

彼はクラスの、そして学年の、学校のヒーローでした。頭も良くて運動もできて、人懐こくて、人気者でした。そして、今もなお、私や私の仲間たちの中では、笑顔で笑う彼が生き続けています。

これを書くのか、ずっと悩みつづけていました。読む人によっては、この彼が誰だかわかってしまいます。この記事が傷つける人がいるかもしれません。(なお、当時の彼の奥さんとはつながっていません)

それでも、このことが、私の人生にとって、あまりに大きなことであり、生き方にも仕事にもつながるものであり、書くことにしました。

私はあのとき私なりに彼と向き合った。

でも、私は彼を救えなかった。
彼は命を絶つ前に私に連絡をしなかった。

ただただそれが事実。

彼の苦しいときに時間を共にし、話をした。私にもっとできたことがあったかもしれない。なかったかもしれない。でも間違いなく言えることは、私はあのとき真正面から向き合えたとは言えないということ。ただ同情して聞くことだけ、時間を過ごしたということだけ。彼は命を絶ったということ。

自分に自信などなく、勇気もなく、自分の人生を自立することすらできていなかった自分。自分の人生にも、他人の人生にも、向き合う覚悟などなかった、覚悟というものを意識すらしていなかった自分。

けして贖罪とかいうつもりはない。
このときから個人と向き合う人生を選んだ、というわけでもない。

ただ、何もできなかった、救えなかった自分に憤りを感じながら、無力な自分を責めるでもなく、どこかで感傷的な自分に酔いしれて泣いている。明確に、そんな自分を自分で軽蔑した。それまで自分らしさだと思ってきたものを、心底汚らわしいと感じた。

人生はこんなにもあっという間に終わってしまう。自分のことなど、人は忘れてしまう。人のことも、私は忘れてしまう。大切な人との時間などあっという間に過ぎ去り、手の届かないところに行ってしまう。

私にできることなどたかが知れている。

もう二度と人を失いたくないと思っても、
それでも失うものは失う。

言葉など、対話など、無力だ。

それでも、私は言葉とともに生きる。
対話の可能性を信じて生きる。

自己満足でしかないのかもしれない。

「動かせた事実だけが正義」

後日彼が遺してくれた私への手紙を受け取った。

「こないだは会えてよかった。心配してくれてありがとう。話を聞いてくれてありがとう。嬉しかった。」

そんなことが書いてあった。
死ぬ間際に書く手紙が、こんなにもしっかりとした文字で、落ち着きも感じられる言葉を選んで書かれるものなのかと静かに驚いた。

その手紙を読んで、私は自分に言い訳をしないと決めた。

彼のお葬式を最後に、私はお葬式で泣かなくなった。

生きたいと願う人がそれを叶えられるように。
もっとよく生きたいと願う人が、それを叶えられるように。

苦しいときに、つらいときに、
思い出して声をかけてくれるように。

時を経て今彼を思い、そうありたい、
あり続けていくんだと、そう心に刻んでいます。

(この内容と一緒に他のことは書けないと気づきました。いつ終わることになるのか、またわからなくなりました。これからも懲りずにどうぞお付き合いください。)

(つづく)

つむぐ

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