あなたの中で生きる

人々の記憶の中に、心の中に、
自分のことや、自分がやったことが
残るように生きたい。

存在証明、生きた証を残したい。
僕は私はこんなことをやったんだと、
死ぬ間際にそう思って人生を終えたい。

日々たくさんの人々の描く未来のことをお聞きしていて、そう伝えてくださる方が少なからずいます。

愚問かもしれないけれど、
「なんでそう思われるのですか?」
といつもお聞きします。

けしてその思いを否定したいわけではありません。ただ、とても大切な何かが、その言葉の奥にある気がするからです。

認められたい。

例えば、幼少期から親に褒められたことがなかったことで、常に兄弟姉妹と比較されてきたが故に、認めてほしい思いを抱え続けてきたという方がおられたり。

感謝されたい。
尊敬されたい。

例えば、お祖父様が亡くなられて、お葬式にこんなにも人々が来てくれて、みんな口々にお祖父様への感謝や尊敬の気持ちを伝えてくれて、こんなふうに周囲の人々に思われる人生を歩みたいという方がおられたり。

上に立ちたい。

例えば、大きな仕事をするために裁量が必要で、それは多くの人を動かせる立ち位置にならなければできないこと。そのためには人の心を掴める人間にならなければならないという方がおられたり。

居場所がほしい。

例えば、誰の心の中にもいない自分を思うと、寂しくて虚しくて、凍えそうだからという方もおられます。

お一人お一人の中にある、おそらく誰しもの中にある、存在証明を求める気持ちや承認欲求、それらは大切なことですし、なくすことなどできないものでもあります。

ただ、その中でいつも問いかけさせていただくのは、

それらはエネルギーを作っているか。
または、エネルギーを削っているか。

それらをエネルギーにして動くときに、
幸せか否か。いい感じかどうか。

それらを大切にしている自分のことが好きか。
そんな自分を、これからも愛していけるか。

ということです。

これらの問いに対して、すべてポジティブな答えをくださる方は、実はほとんどいません。

だから存在証明や承認欲求は悪いのだと、ほう言いたいわけではありません。

でも、存在証明や承認欲求を求める気持ちがどこから湧いてくるのか、それをこれからどういいエネルギーに変えていければいいのかを考えると、存在証明や承認はゴールではないと、そして、それが自身だけでなく、周りも当たり前に持つものだとわかったときに、案外今の職場や転職活動、家庭や社会の中で、行動と言葉が変わっていきます。

不思議なもので、認めてほしそうな人を、なぜか人は認めない。褒めてほしそうな人を、人は褒めない(言葉だけならするけれど)。尊敬してほしそうな人は、尊敬しない。

存在は証明するためのものから、自ずと証明されていくものだと、承認は欲するものから、自ずとされているものだと、気がつけていく。

苦しんでいた顔が、晴れやかになる。

「人は、人の中にいたいと願えば願うほど苦しい。でも、人の横にいたいと願うことは、お互いを傷つけないし安らぎになる。心強くもなる。あなたはあなたで、私は私でいい。あなたは私になれないし、私はあなたになれないけれど、それでもそばにはいられるならば、中ではなく横。」

そんなことを思い始めて、今回はこれを書いてみました。

つむぐ

キャリアカウンセリング、採用支援、エージェント育成支援などを行っています。

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