平成と私 vol.7

『怒らないこと』みたいな本ばっかり読んでいました。

毎日苦しくて、自信もなくて、逃げ出したかった。でも逃げられなかった。人生で初めてそこから逃げずに向き合ってやりにきった。それまでの成長が110パーセントの背伸びでできたものだったとしたら、このときの成長は200パーセントの背伸びだった。そんな感覚であり、大変なことを乗り越えると成長できることを知ったこのプロジェクトは自身の仕事人生の本当の意味でのスタートだったのかもしれません。

初めて常駐して難易度の高いプロジェクトのプロジェクトマネージャーとしてお仕事をさせていただいた、ただそれだけのことです。たくさんの人が様々な業界でやっていること、ただそれだけのことが、自分にはあまりに大きく難しいことだったのです。

それは前任者がいたプロジェクト。その方はクライアントからとても信頼されていて、その後任として入ったものでした。常駐自体が初であった中で、その初日のランチではクライアントの誰も目も合わせてくれず、前任者は帰ってこないのかと言われる、歓迎されていない感でいっぱいな歓迎ランチでした。

これまでのプロジェクトとは規模も環境も違う。わからないことばかり。足ががたがた震えているのに登り始めた崖、降りてしまえば安心できる場所。1メートル登るごとに降りたいと思う、そんな日々が始まりました。上司に弱音を吐いたこともありました。

そのクライアントのビルに入りその香りを嗅ぐだけで鼓動が速くなる。どうすればこの感情が落ち着くのか、心理学や仏教の本をすがるように読み漁って過ごす、そんな日々を過ごしました。このときの経験が、学んだことが、今とても大きな力になっているわけですが、そのときは、ただただ不安が巻き起こす思考の暴風雨に呑み込まれて必死だったのです。

そんな中で見守ってくれる上司、笑いかけてくれるメンバーに支えられながら、一つずつ一つずつ、やるべきことをやり続けていたときに、初めて存在を認めてくださったのは、人事の方ではなく、日々やり取りをする現場の社員の方でした。

「事務局の方がとてもいい対応をしてくださる」と人事の方に伝えてくださったのです。それをきっかけに、少しずつ人事の方からも

「川崎さん、相談があるんだけど」
「川崎さんはどう思う?」

そんなお声がけをくださるようになって、笑顔でやり取りできる機会が日々増え、地下二階にあった、閉塞感でいっぱいだったプロジェクトルームが、居心地の良い場所になっていきました。

苦しくても厳しくても、それでも自分なりにであっても、やるべきことを誠心誠意やることが、やり続けることが、とても大事なのだということを強く学んだ機会でした。今も新しいチャレンジをしようとする人や、認められずに悩んでいる人に向き合うときに、大きな力になっています。

そして、このプロジェクトは、自社メンバーとの背中を預け合う仕事の仕方を学んだ機会でもありました。ものすごく険悪な関係性となったメンバー、失敗ばかりで自信をなくしてしまったメンバー、新卒一年目でとてもやんちゃで優秀なメンバー、なんでも引き受けてくれる安心できる人だけど抱え込んでしまうメンバー、誰一人として、心強さを感じない人はいなく、そんなメンバーが明るく仲良く楽しく前向きに仕事をしあうときにとても大きな力になることを知りました。

その環境を作るために、何よりも大事だったのは、対話でした。孤独、怒り、失った自信、メンバー一人一人、もっといい仕事がしたいのに、その思いを形にできずに苦しんでいて、どれだけ忙しくても、しっかり時間をとって対話をすることで、心の中の暗く重いものは、光が差すように軽くなる。するとその一人一人がむしろ頼り甲斐でいっぱいの背中を預けられる仲間となってくれる。

そのときはまだ、対話をキーワードにして生きることになるとは思ってもみませんでした。でも、そうして生きていく決心をするときに思い浮かんだのは、このときに出会った仲間だったのです。

そして、始めは打ち解けて話してくださる未来なんて来ないと思っていた人事の皆さんとは、たくさんの話と仕事とお酒を共にし、生涯大切にさせていただきたい素晴らしい関係を築かせていただきました。たくさんのトラブルもありました。東日本大震災、とあるブログの大炎上、思い返せばいくらでも思い出が浮かびます。社内外問わず、それでも一緒にスクラムを組んで戦う、本気の仲間として認めてくださった皆さんのことは、ずっと忘れません。

最後の飲み会となった、月島でのもんじゃ会、記憶がなくなっていた間に撮った皆さんとの集合写真、皆さんのステキな爆笑の笑顔、何よりお客さんにのしかかって嬉しそうにしている自分の顔、忘れません。(その後目覚めたら深夜で、月島駅の外の地面で爆睡していたことが発覚しました)

加えて、このプロジェクトの最中に、東日本大震災がありました。社会インフラを担う業界のクライアントならではの、「俺たちこそが」という強い使命感と行動力に満ち溢れた人々が躍動している姿を垣間見て、プロとしての迫力を学びました。(避難アナウンスで上の階から呼ばれ、結局地下二階が呼ばれなかったときはどうしようかと思いましたが。)

でも、冷静になると、私はこのプロジェクトにおいて、望まれただけの力は出せなかったのだろうと思います。採用目標は達成しました。私にとってかけがえのないプロジェクトでしたが、クライアントの期待に応えられた自信はありません。

二年のプロジェクトを終え、私は次の(他のクライアントの)プロジェクトに行くことになりました。

そして、その後私のいた会社とこのクライアントとのお付き合いはなくなっていきます。あれだけ声高に掲げた革新を志す採用スローガンも、なんてことのないつまらない採用スローガンになりました。

振り返れば、このクライアントに限らず、特にこのクライアントとの別れをきっかけに、強く自身に言い聞かせ、深く根付いた言葉があります。

クライアントワークは、
どれだけいい仕事をしたと思っても、
目標未達なら、労われても次はない。
目標を達成したとしても、次があるとは限らない。
そのうえで何ができるか。
誰かのせいにせず、どうありたいか。

そして、当時の上司はプロジェクトルームに来るたびに私のPCに「smile」と書かれた紙を置いていきました。当時常にピリピリしていた私には、火に油を注ぐものでしたが、今になれば、人生においてとても大切なことを伝えてくださっていたのだなと痛感します。

私はその後、別のクライアントの常駐プロジェクトに入ります。そこでの日々が、その後の自分自身の道を決める決定打になったのです。

つむぐ

キャリアカウンセリング、採用支援、エージェント育成支援などを行っています。

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