期待と裏切り
怒りや悩み、そして悲しみや苦しみや虚しさを覚えるときに、いつもそこには「期待」の存在がある。
期待に応えてもらえないとき、裏切られたと感じるとき、頼りないと思うときにそれらの感情は強くなる。
誰かが自分のために何かをしてくれる。そんな期待が傷つけるのは自分なのだ。
期待などしても応えてもらえなくても当然で、叶えば運が良かったと思えるくらいがちょうどいい。けして投げやりだったり絶望だったりするわけではなく、その諦めが、とてもちょうどいいのだと、そう思う。
「期待する」ことが原因で生まれる負の感情が多いけれど、人は「期待される」ことが喜びになり力になる。むしろ期待されることがなくなったら、とても寂しく虚しくなるのも事実。
期待するのは自分の勝手で相手が求めたわけではない。なのに、みんな期待の押し売りをして、買ってもらえなくて憤る。
「せっかく期待してやったのに」
「良かれと思ってやったのに」
「あなたのためにこんなにやったのに」
どうやら人は期待されたいように期待されたいのだ。
そんな期待されることへの期待。
期待されて然るべきという期待。
それもまた苦しい。
他人を変えるより、自分が変わるほうが早い。そんなこと、できるわけないかもだけど、できるなら案外その方がいいことがたくさんある。
もしあなたが何かに悩み苦しんでいるのなら、それが一方的な期待によるものではないか、深呼吸して考えてみると、ちょっとしたあっけらかんとした諦めとともに、ふっと気が楽になるかもしれません。
そしたら前に一歩、踏み出せる気がしませんか?
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