優しく穏やかに笑顔で〜2020年を迎えて
新しい年を迎えて、今年、そしてきっとこれから先私が一つだけ大切にして貫きたいことがあるとすれば、それは、
「優しく穏やかに笑顔で」
ということなのだと思っています。
つむぐを立ち上げてからの昨年一年間をかけて、思考と悩みの暴風雨の中でかき分けてかき分けて出会えた青空。抽象度を上げ続けて、本当にそうかと問い削ぎ落として残ったのが、この言葉です。
優しくあること
穏やかであること
笑顔であること
似た印象を持たれるかもしれません。でもこの三つだけはどれも欠かすことができない。一つでも二つでも違う。この三つが揃いお互いを支え合えるものだと思っています。
キャリアカウンセリングを通じて、採用による企業の人々と事業の支援を通じて、そして日々の私生活を通じて、この言葉が常に真ん中にあり、私を生かしてくれていたと思います。
私が人材紹介エージェントの働き方をやめ、そのうえでキャリアカウンセリングをしていくと決めた思いの背景には、
お一人お一人が強くあれるのなら、または強くなくとも、自立してあれ、幸せにあれるのなら、どこで働くか、誰と働くかというとても大切なことをも、自らで見定め、心を決め、生きていけるのではないか。
逆説的には、強くあれず、他者や周囲に依存し、自らで大切なものを見定められず、心を決められずに生きることはとてもつらいことではないか。
目まぐるしく変わる世の中と、情報と、人々の中で、寄りかかり生きることがあまりに難しく、寄りかかられる人も苦しくある今この時代の中で、そうあるべきというよりも、そうあることが自身にとっても安らかであり、豊かで幸せなことなのではないか。
あるときから誰かのせいにして生き続けることが、ただただ、虚しく悲しく寂しいことだと思うようになったことがあり、自身がそれで苦しかった経験と、それが私だけではなく多くの人々の悩みと苦しみの原因の多くを占めていることを日々実感してきたことが、この道を辿らせる必然となったのだと感じています。
でも、人は人に依存せずして生きられませんし、そういう自分自身もたくさんの世の中の仕組みや人々にあまりに寄りかかりながら生きていることは間違いありません。
そして、強くあれるときも、あれないときも、きっと誰しもにあります。私は強くあれるときの作戦会議の相手として、あれないときの心や言葉の拠り所として、存在できたらいいなと願っています。
私のことなど思い出してもらえずとも、それでもその方が幸せならいい。私がステッキにでもなって立ち上がれるときがあって、そのあとでステッキを知らずにベンチに置き忘れていかれたとしてもいい。でもまた必要になったら思い出してくれたらいい。24時間365日そんな存在になれるほど立派な人間ではありません。でもできるなら、できる限り、そうありたいと願うのです。
こんな願いすら、私が依存する幻のような私らしさなのかもしれない。ときにやりきれない虚しさや脱力感が襲うときもあるけれど、それでもそんな自分を立て直していく術としてのお風呂やサウナの活用という武器も持ち、徐々に扱えるようにもなってきた気がします。実体験とサウナスパプロフェッショナルという資格の勉強で得た型としての学びや経験も役立てていけたら。
年末に取り組んだPoints of Youの活用によるキャリア企画もこれから続けていこうと思います。キャリアカウンセリングをさせていただくだけでなく、ご自身との対話の機会を多面的にお届けできたら。
そんなことを思っています。
今お世話になっている大好きな企業さんの採用支援のお仕事について、いつまで与えていただけるものか、2020年という動きの激しい年の中では、私自身も常に暴風雨の向こう側に広がる青空をしっかり見定めて生きていかなければ。
(そして、自己満足な私の人生振り返りコンテンツ平成と私シリーズを、いい加減完結させなければ!)
改めまして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
優しく
穏やかに
笑顔で
皆さんと一緒に。
令和二年一月
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